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浅田真央フィギュアスケート2014の速報ブログ

2013年開催アメリカ、中国、カナダ、ロシア及び全日本のフィギュアスケートグランプリの日程や浅田真央をはじめとする日本代表出場選手、ソチオリンピック選考会の速報をお届けします。

浅田真央、父の死去?  [浅田真央]

今回は浅田真央、父の死去について書いてみたいと思います。

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検索エンジンで浅田真央 父と検索すると「父 死去」って出てくるので、
一瞬浅田真央さんの父かと思って調べてみました。

この文章があちこちのページで表示されるのですね。

真央の父・敏治(55)は売れっ子ホストとして知られた存在だった。 小学生の頃に父親が死去。繁華街で働いて、家計を支えてきた苦労人だ。


「小学生の頃に父親が死去」の文章では誰の父かがわかりにくいのですね。

この「父親が死去」で死去したのが誰の父なのかですが、前後の文章から浅田真央さんのお父さんの父で、つまり浅田真央さんの父方の祖父なのではないでしょうか?

小学生の頃に父親が死去というのは、浅田真央さんの父親の父、ややこしいですが、浅田真央さんからみると、おじいさんになるのですね。

そのおじいさんが浅田真央さんの父の小学生の頃に死去しているということのようです。

だから苦労して家計を支えてきたと言われています。

浅田真央さんの父のことは、メディアが報じない私生活などと言われています。

その前にまずは、フィギュアスケートランキングをチェック!

浅田真央の父.jpg


2013年12月30日の日刊ゲンダイから、興味深い記事がありましたので、引用させていただきました。

05年12月に15歳でGPファイナルを制して以降、真央は年4~7社とCM契約を結び、出演料は1本4000万~6000万円とされる。 年間1億円以上を稼ぐ、国民的アイドルとなった頃、父は密かに夜の商売から離れた。 「娘の体面を気にしたんだろう。最近はだいぶ減ったけど、まだ世間に誤解を受ける職業でもある。 自分の因果を、かわいい娘に背負わせたくない。そう考えたのでしょう」  とは、父を知る女子大小路の老経営者。  父はメディアの前に現れようとしない。どんな人物なのか。本紙記者は浅田家前で対面した。 180センチ近い長身、ロマンスグレーを横分けにした風貌は歌手の玉置浩二を彷彿させる。 運転するトヨタ車の助手席にはサングラスに深紅の口紅、黒ずくめで大人っぽい衣装の真央を乗せていた。 直撃取材は真央の女性マネジャーに制止されたが、父の娘へのまなざしは柔和そのもの。   消費者金融の根抵当権が外れたのは07年4月、住宅ローンの完済は10年9月のことだ。 娘の稼ぎは育成に投資し、返済は後回しにした結果だろう。


青春を犠牲にして働いた父と母は夜の街で出会い結婚。
後の天才少女が生まれたのは、1990年9月25日。

浅田真央さんの誕生です。
宝塚ファンの父はトップスター大地真央にちなんで「真央」と命名したそうですね。

娘を金メダリストに育てるために、破産寸前まで投資されたようです。


2011年12月に死去した浅田真央の母・匡子(享年48)さんの両親も若くして亡くなっているようです。

ここで浅田真央さんの母が死去した時のニュース記事より
真央の母・匡子さん死去

フィギュアスケート女子の浅田真央選手(中京大)の母、匡子さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が同日、発表した。今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していたという。48歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。  浅田はグランプリ(GP)ファイナルの開催地・ケベックの現地時間8日早朝に容体急変の連絡を受け、欠場を決め、佐藤信夫コーチとともに帰国の途に就いた。同日午後に帰国したが、間に合わなかった。  匡子さんは、90年に生まれた次女、真央と、長女の舞の競技生活を支え、バレエの経験も生かした技術的なアドバイスも送った。浅田は女子で高度なトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳べる天才少女と呼ばれ、15歳で05年グランプリ・ファイナルに初出場優勝、2度の世界選手権制覇などと世界のトップ選手に育った。  浅田は同い年のキム・ヨナ(韓国)に敗れた昨年のバンクーバー冬季五輪で銀メダルを獲得。誰に見せたいかと問われると「お母さんです」と答え、匡子さんが一番の理解者だった。五輪で金メダルを逃し、悔しさから涙が止まらない浅田に「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていては駄目」と諭したのは匡子さんだった。  幼少のころから毎日のようにスケート場へ車で送迎していたが、体調が悪化したからか、昨季から応援に駆けつける姿がなくなった。浅田は昨季オフに自動車教習所に通って免許を取得。母を頼らず、今季は乗用車を運転して中京大での練習に通うようになっていた。




ソチオリンピックに出場できたこと、そして今までの集大成になるというオリンピックでの演技を、母は応援してくれてることでしょう。

余談ですが、安藤美姫さんの場合は、8歳の時に父が事故で死去しているようです。

フィギュアスケートを続けるには、年間およそ3000万円はかかるそうで、父親の代わりに、喫茶店を経営している祖父が資金を提供していたようですね。


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